今日は、仕事場で、誰かから嫌がらせ?のようなことがされていて、皆で何故こんなことを?となった。
単なるいたずらの場合もあるだろうけど、もしかしたら、子どもの声がうるさいから嫌だいう方も周辺にいるのかもしれないわね、と他の方が話されていた。

土地のことに関しても、子どもがうるさいからと、反対する方もいて、許可が下りないこともあったりする。
苦情が出て、転居したりもあった。

かくいう私も、甥っ子たちが生まれる前は、子どもにはそれほど興味はなかったし、好きだったわけでもなかったので、人によっては少しの泣き声も我慢できないかもしれない。中には、子どもが欲しくても、不妊などで悩まれている方もいると思うし。


私は、自分の生い立ちから、山口智子さんご夫婦や中野信子さんご夫婦のような関係に共感している。
中野信子さんの言われる、子育ては何も親だけがするものだけではなく、共同体として皆が子育てしていった方が人類にとってはいい、というお話はとても共感するものがある。

実際、私が生きてこれたのは、子育て能力のない親以外の第三者の協力もあったからだ。


子育ては、共感し合うこと、理解者がいること、たとえ短時間であっても、自分以外の人にも子どもを委ねられることできると、負担が大分違うのでないかなぁと思う。


この仕事をして思うのは、子育てはやはり大変だということだ。昔は恨みもあったけど、今となっては、親は親なりに大変だったんだろうと思い直しているし、過酷な環境から、サイコパスやパーソナリティー障害、発達障害に関して、理解を深めることもできた。
自分自身のことでは、ADHD気味であったり、発達障害のある甥っ子の育児は、赤ちゃんの頃から預かってたけど、小さい頃はかなり大変だったし、支援の仕事の方は、年齢も幅広く、健常者よりも自分の気持ちに正直で、心が澄んでいるなぁと思うことが多いけれど、中には暴力行為をする子もいるし(生傷絶えない)、愛着障害から対応が難しかったり、言葉でいっても理解できないこともあるし、知能指数IQのことや、家庭環境や学校での様子、一人一人で違う障害の特性を理解し、その子がより良い環境で成長していけるよう努めている。彼らの成長の歩みは、とてもゆっくりで、前進したかと思うと突然後退したりもあって、長いスパンで見守っていく必要がある。

保育でも、子どもが可愛い、楽しいばかりではなく、何人もの食事を用意して食べさせたり、片付けも大変だし、ミルクをあげたり、オムツをかえたり、午睡時もなかなか寝ない子もいるから、寝かしつけが大変だ。体に対して頭が大きいから、あちこちゴツンするし、オモチャの取り合いで子ども同士の噛みつきや怪我もある。今日のような暑い日は、水分をこまめにとらせたり、熱中症に気を付けなければならないし、体調が悪い子がいれば保護者に連絡してきてもらったり、よく一人一人を観察しなければならない。また、コミュニケーション力や報告、連絡、相談などの連携が必要とされる。
自分の心身の健康管理も大切。


これらは、仕事でしているから割り切れたり、我慢できることもあるけど、自分一人で子育てしている方は、抱え込んで育児ノイローゼになったり、夫婦間や嫁姑問題から、自分の子どもを虐待してしまう方もいる。
その問題は、ある大学の先生の講演会で、実際に虐待の原因となるものは何か?を研究され、データをとったものを交えたお話をお聞きしたこともある。
一番の原因は、夫婦間のコミュニケーションがうまくいっていないことだそうだ。
仕事で忙しい夫、一人で育児をしなければならない妻がそのストレスから我が子を虐待していまう。
キャリアウーマンだったとか、完璧主義傾向が強い人も陥りやすい。

私の前の同僚は、自分の家庭でも子どもに対して「先生」をしている自分がいて、この状態は子どもにも自分にも良くないと、潔く退職され、子育てが一段落してから復帰された方もいる。


私は、この年になって、自分の育て直しという意味でも、いろんなことが学べて感謝しているし、今後も自分ができる範囲で、子どもたちや保護者の方々のお役に立てればいいなぁと思っている。
また、社会貢献や、この間の失敗の責任という意味で、また勉強して資格をとって(私にはかなりハードル高いけど)、社会的弱者といわれる方々のサポートもさせていただこうかと思っている。
お金のこと同様に、社会制度についても、まだまだ知らないことばかりだ。
それと、他者のことばかりではなく、自分自身の幸せも考えようと思う。


人から、こうであるべきだ!と押し付けられた生き方ではなく、
自分が納得できる生き方ができればいいのではないかな?と思っている。